今までクリエイティブユニットシリーズ2回にわたって、阪大のクリエイティブユニットの取り組みについて取り上げてきた。今回は最終回ということで、特別ゲストにインタビューを試みた。
まず、世間一般における阪大のイメージを取り上げた後、特別ゲストへの取材、そして最後に連載全体を振り返ろうと思う。
阪大をイノベーティブなイメージに変える
クリエイティブユニットの伊藤雄一先生は「これから阪大が目指すべきは、もっとイノベーティブな大学たるということですね。大阪の全てのリソースを使って、世界を変える。」という。
“阪大には「東大、京大に次ぐ3番手」のイメージがつきまとうが研究力には定評がある。特許出願や論文引用などで測る米トムソン・ロイターの「世界イノベーティブ大学ランキング」で15年に日本の大学で1位になった。”(出典:同)
しかし、国内3位とはいえ阪大をひと言で表わせる言葉がないことが広報としては悩みだったようだ。
ーー伊藤先生は阪大をどのようにブランディングしたいですか?
オモロイ・ユニバーシティにしたいね。オモロイは多義語だし究極。色んな奴がおるから3位がいちばんオモロイやん。
・・・
また、こんな記事も見つけた。
“東大の「安田講堂(東京大学大講堂)」は、正面に時計塔を持つ、その堂々とそびえ立つ姿が、赤門と並び東大のシンボルとして広く知られている。昭和の学生運動の史料映像に出てくることも多い。
京大の「時計台(百周年時計台記念館)」も誰もが知っているシンボルで、正門入って正面に大きなクスノキとともにそびえ立つ姿は、京大のエンブレムの図案にもなっている。
[…]
では、同じく旧帝国大学の阪大は?
結論をはっきりいうと「古い時計台のようなシンボルはない」。“(出典:https://www.excite.co.jp/News/bit/E1283245586143.html)
阪大の風景としては「豊中キャンパスの正門」「吹田キャンパスの阪大本部」「阪大坂の石」「箕面キャンパスの世界時計」などがバラバラに使われ、確かに阪大の印象に残るシンボルは不在だ。

阪大SNAPより
また、同じ関西圏に京大があることやシンボルがないことから愛校心が低いともいわれているし、「国内3位」ということに違和感を持つ学生もいる。
そのことに言及しながら、特別ゲストにお話をうかがっていこうと思う。
阪大の歴史
ーーこんにちは、平野先生!今回は、42年間阪大にいらっしゃった平野先生が総長を退職された後の赴任先、QST(http://www.qst.go.jp/about/welcome/profile.html)のオフィスに来ています。まず、事前にメールでお送りした最初の質問ですが・・・

まあ、好きに話させてや。
今の阪大の学生さんに言いたいことがあって、
(いきなり?!)
まずひとつは、阪大に誇りを持つということよ。
その上で、阪大を超越してーー京大だとか神戸大とか東大だとかは超越して、世界に目を向けるということ。
これがいちばんのメッセージ。
ふたつめは、今の世の中、君らが生まれた頃くらいから大変革時代に入っている。私にいわせると「多様性の爆発」の時代。そういう時代であるということをよく認識するということ。君たちはその中にどっぷり浸かってるから実感しにくいかもしれないけど。
ーーメッセージをいただきありがとうございます。阪大に誇りを持つということに関して、総長時代にも学生にそういったことをいわれていたのでしょうか?
総長のとき、選択講義に知のジムナスティックという学部長講義において、阪大の歴史を説明して・・・
〜以下、阪大の歴史〜
阪大は1838年に緒方洪庵が設立したオランダ医学などを学ぶ適塾から生まれた。
適塾は、福沢諭吉、佐野常民(日本赤十字社)、大村益次郎(事実上の日本陸軍創始者)、橋本左内(政治家)、長与専斎(公衆衛生)
などを輩出している。
明治維新期に、薩摩、長州でも適塾の人たちが実学の面で活躍した。
1869年に緒方惟準(洪庵の次男)を院長として適塾の門下生らが参加した大阪仮病院が設立された。のちに大阪医科大学となり、当時の学長であった楠本長三郎先生らの努力で1931年に医学部と理学部からなる大阪帝国大学が設立された(長岡半太郎初代総長)。
楠本先生は2代目総長となりその名前を冠した楠本賞(学業優秀な人に送られる賞)が今でもある。
当時は昭和大恐慌中で、国の財源は困窮しており、100%民間と大阪府の財源で出来た唯一の帝国大学であった。
東大・京大にも工学部はあったが、学問寄りで実学ではなかったので、政府の要請で東京職工学校(1881年設立、現在の東京工業大学)、大阪工業学校(1896年設立)ができ、後者は1933年に大阪帝国大学工学部となる。
まず工学部、医学部、理学部で阪大が始まった。
ちなみに大阪にも国際感覚のある学校を作らなあかんということで、民間の寄付で設立されたのが、1921年の大阪外国語学校(旧大阪外国語大学)だ。
・・・
学生は、橋本左内とか全然知らなくて、ただ偏差値だけで入ってきたって。
「先輩を見習って頑張らなあかん」って感想文に書いてたね。どこまで真剣か知らんけど(笑)
そして、
司馬遼太郎、手塚治虫、SONYを作った盛田昭夫、湯川秀樹(阪大のときの博士論文がノーベル賞)、日本ではじめてウイスキーを作った竹鶴政孝、世界で初めて重粒子線がん治療装置を開発した平尾泰男(QST放医研元所長) など・・・。
みなさん色々活躍してるから、もっと阪大に誇りを持ってほしい。
そして世界で活躍してほしいね。
歴史的に見ること
ーーまるで実際の総長講義を受けているようでした!ふたつめの多様性爆発の時代とはどういうことでしょうか?
人間の歴史は5つの時代に分かれると思っています。
第1期は、アフリカで生まれた我々の祖先が世界中に散らばって、ホモ属の中でホモ・サピエンスだけが生き残った時代。
グローバル化とは世界が統一して均一化すること。
つまり、グローバル化はいま起こったのではなく、20万年から1万年前にグローバル化は起こっていた。
1万年くらい前に各地で文明が起こって、世界の多様性が確立されます。言語、慣習、宗教などの多様性が確立し、今の多様性の元ができた(第1期:1万年前から12世紀の約1万年間)。
13世紀はモンゴル帝国ができ、大航海時代が始まり鄭和やコロンブスやマゼランが活躍し、世界はひとつに繫がります(第3期:13世紀〜17世紀の約400年間)。
そして18世紀末に産業革命が起こり、帝国主義の台頭と2度の世界戦争などを経るも、
1990年ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終結(第4期:約200年間)。
いまの時代は第5期です。
移動手段やインターネットなどの情報手段の飛躍的な発達で、世界は相対的に狭くなっている。一瞬で情報が世界中に拡散される。アフリカでエボラ出血熱が流行ったら明日大阪に来るかもわからん。
多様性爆発の時代です。
総長のとき「学問による調和ある多様性」を推進していました。
宗教が違ってもスポーツはできる、言語が違っても芸術はわかるというように、学問は、芸術やスポーツと同じく人類共通言語で、学問を介して様々な多様な人々と交流が出来、異文化理解や尊重ができる。
- ・留学奨励
- ・環太平洋学長会議(44の大学が加盟)の大阪開催
- ・国際共同研究推進(国際共同ラボ)
- ・カップリング・インターンシップ(工学部と文系を混ぜて東南アジアに派遣)
など色々やりましたね。
戦後70年ともいわれているけれど、そういう次元ではなく、人類20万年の歴史上5回目の大きな変動期というすごい時代に生きている。
そんな時代だからこそ現状維持じゃダメで、常に世界に目を向けてどんなことでも対応できるように
そういう自覚を持ってほしいと思うね。

江戸時代は250年変化はなかったけど、今は変革の時代。
こういう風に歴史の観点から見るのは大事なんです。
さらに、相手を理解して尊重するのが多様性の調和。
自分に自信がなかったら嫉妬や妬みを持つのが人間。相手を尊重するために己を知り、己を磨く必要がある。天狗になったらダメだけど、自分に誇りを持つこと。
阪大生の中にもそれぞれのルーツがある。自分というものはどんなものか考えた上で、相手を尊重することが大事です。

ーー阪大に誇りを持つ、ということですが、阪大生は愛校心が弱いともいわれていることを指しておっしゃっているのもあるのでしょうか?
えっ、愛校心弱いの?
――同じ関西圏に京大があることからも、阪大は大学受験のとき第一志望でなかった人もいますね。
そんなの気にしなくてもいいと思うけどね。
現在は過去の積み重ねにあるのは事実だけれど、過去の出来事と昨夜見た夢はあまり変わらない。未来は不確実でどうなるかわからない。今、この瞬間こそがリアルにある。今を大事にする。今の瞬間を精一杯生きる。この瞬間を積み重ねて行けば永遠に生きることだって出来る。それが人生だと思う。
阪大だとか京大、東大だとかは気にする必要はない。今ある自分を大事にすることや。ハーバードだろうがオックスフォードだろうが関係ない。
夢は叶えるためにある。
夢に共通しているのは、その人に取り実現困難なものということ。自分に関係ないと思えば永遠に夢。ひとつひとつ目の前のことを夢に向かってやっていけば、たとえ夢が実現しなくてもそのプロセスが人生を豊かにする。
3位じゃダメなんです
ーー気にしないといいますが、総長自ら「3位じゃダメなんです」の広告に出ていらしたことも記憶に残っています。
私は順位はどうでもいいと思うよ、1位でも3位でも10位でも。
「現状に満足するな」「常に夢に向かって向上していけ」と、あの広告はそういう意味で言っている。
ーーなるほど。先生が登場したのは何故ですか?
あれは伊藤くんが・・・(笑)
たくさんポーズ撮ったけど、そのうちのひとつやね。
あの当時、客観的なデータから阪大は実際3位やったし、
でも別に順位はどうでもよかった。2位だろうが5位だろうが。
私は言いたかったのは現状に満足するなということ。
ーー「1位を狙え」ということですか?
1位というよりは、世界を狙えやね。
日本で1位になったってしゃーない。
自分の過去の歴史を大事にし、誇りを持つ。その上で世界に目を向ける。
地球人を目指すべき。地球人社会を目指すべき。世界地球人国家とかね。
人類の歴史の大きな流れでは、世界は常に統一に向かっている。
いま国連に加盟しているのはわずか200で、1万年前は何千の主権集合体があったはず。イギリスのEU離脱のような一時的な波はあるけれど、世界は間違いなく統一に向かっている。現に、情報や経済は既に国境を超えている。
阪大生は地球人を目指さなきゃ。関西という地域的な観点からはアジアに目を向けるとかはあるとしても。
阪大生よ地球人であれ!
今までの連載まとめ
阪大の歴史とともに教養を学べた、非常にためになる総長講義だった。やはり私たちも先輩を見習って頑張らなあかんですね!
さて、最終回なので今までの3回を振り返ってみよう。

第1回 阪大はリベラルな大学なの? 広報に取材してきました!
第1回ではクリエイティブユニットが実践している阪大の広報全般を紹介し、予想以上の反響をいただいた。
阪大が国立大学でいちばん女子率が高いことは驚いた人もいたようだ。個人的には、阪大広報で押し出していくならこのポイントじゃないかと思っている。

第2回 【阪大グッズ】宇宙を支配する数式リング、阪大珈琲ができるまで
第2回の阪大グッズ紹介は、キャッチーさも相まりPV数は第1回を上回った。記事を出した後に、新たな阪大グッズ「頭脳グミ」が出たのでぜひチェックしてほしい。
また、今年のゆるキャラコンテストにもワニ博士がエントリーしている。投票はこちらから。
これからもクリエイティブユニットは、私たちを驚かせる広報をしていくことだろう。

ブルゾンちえみも絶賛する頭脳グミ。Instagram@buruzon333 ストーリーより。
さて第3回は実は当初、「阪大はシンボルがないこと」についてさまざまな角度から考察し、「阪大はどんな大学なのか」良い感じにまとめる予定だった。
シンボルについて、阪大本部の担当者はこう話す。
“・時計塔や赤門の「モニュメント系」に対し、阪大は「空間系」のシンボル形成を目指す
・空間系シンボルとは、面する建築による演出や、人々により生み出された記憶などが重層して成り立つもの“
しかし、わかりやすいシンボルがないことが逆説的に象徴するように、イメージの単純化に難航したので、最終的に各読者に阪大のイメージを委ねるということで、結論はあまりはっきりとは書かず記事を作ったつもりだ。
この一連の記事が作る「空間」から、読者個々人が阪大のシンボルをなんとなくでも形成してくれれば幸いである。
色々なものや人々が登場して良い意味でカオスで賑やかな記事になったが、こういう空間も阪大っぽいといえばぽいと個人的には思っている。
それを伊藤先生にいわせると「オモロイ・ユニバーシティ」なのだろう。
クリエイティブユニットの皆さん、橋本先生、平野先生、インタビューをお受けいただいてありがとうございました!
筆者の力量不足で取り上げきれなかった面もあるが、もっとここを深めて知りたいなどあれば、自らOUlifeで書いてくれるライターも募集している。
おまけ1

平野先生が建築家の安藤忠雄さんと食事したときにもらった安藤氏制作の青いりんご。
「死ぬまで青いりんごであれ」という意味だという。
子どもは好奇心を持ち、一日一日新しいことを知るが、いつか「全てが当たり前」の目の輝きも好奇心もない大人になっていく。
しかし、安藤さんは100歳まで青いりんご(≒ 青臭さ、子どもっぽさ、知的好奇心、夢)らしい。
おまけ2
平野総長最終講義(2015.07.14)
企画協力・クリエイティブユニットのみなさま
文・蒲生由紀子